現社長 鎌形憲一の父で、当社二代目社長にあたる<鎌形四郎>が生前に書き記した社史です。
語りべの「私」は四郎自身のことであり、文中の「親父」は、四郎の父(現社長の祖父)になります。

その後、専務の言葉をきっかけに私自身が経営者としての自覚を持って地道に営業活動を行って数年が経過した頃、当社にとっては木造の仕事を極める事ができたと言っても過言ではない仕事をやらせて頂いたんです。

それは歴史的建築物である、旧学習院初等科正堂の移築工事でした。
旧学習院初等科正堂とは、明治三十二年に建設された正堂が、昭和十二年に東京都四谷から成田の遠山尋堂小学校の講堂として移築された建物です。昭和四十八年に遠山小学校の新講堂建築の為、この講堂が栄町の風土記の丘へ移築する事が決まりました。
風土記の丘に移築する時には国から重要文化財として指定されました。
そうなると簡単な話ではありません。明治時代の建物を復元させる高度な技術が必要となります。非常に繊細な仕事である為、競争入札でありましたが、予定価格に達する業者がおりませんでした。各業者が尻込みするような難しい仕事なら鎌形でやってみようと思い、なんとか落札させたのです。

しかし、各業者が尻込みするような工事ですから、移設作業も簡単には進みません。まずは歴史的な建物の情報収集から始めました。京都、名古屋、高山の歴史的建築物を何度も何度も見に行き文献を読み、博物館にも行きました。それと一番重要なのは腕の良い大工さんの確保です。たまたま知り合いのつてで、手先のとても器用で歴史的建築物を手掛けた事のある大工さんを確保し、お願いする事ができました。完成させるにはこれが一番大きかったです。

完成までは1年半もの時間がかかりました。多くの時間はかかりましたが、とても良い仕事をさせて頂きました。無事に完成出来た事、腕の良い大工さんと知り合えた事など本当に運が良かったです。

工事を無事完成させた事の他に嬉しい事がありました。風土記の丘が開場して間もなく、私の小学校の恩師が多人数の先生方と風土記の丘に視察に来られたそうです。

旧学習院講堂を視察している時、この移築工事は鎌形建設が施工した事が分かり、皆に自慢したそうです。その夜に先生から電話を頂いて、先生が自分の事のように皆に自慢した事を聞いて本当に嬉しくなりました。